先週の26日より島根県立古代出雲歴史博物館さまで企画展『戦国大名 尼子氏の興亡』が始まっております。尼子氏が出雲地方を統治していた当時、尼子氏は出雲大社にも深く関わっており、出雲大社には三重塔があったりと今とは違った様相をしていました。その戦国大名尼子氏の勃興から滅亡、そしてその後についての企画展。経久の武具、経久や晴久の肖像や古文書、尼子氏と関係が深かった神社・寺院の宝物、山中鹿介の兜や絶筆書状などが一堂に集まります。
会期中、関連講座も開催されますのでぜひご覧下さい。
[会期]
2012年10月26日(金)から12月24日(月)
[会場]
島根県立古代出雲歴史博物館 特別展示室
◆展示内容◆
【プロローグ】
尼子氏滅亡と出雲退去後も出雲の人々に強く刻印された在りし日の尼子氏への思いとはどのようなものであったか。
(一)経久以前--そのルーツと勃興の前提--
本来、尼子氏は出雲と同じ京極領国であった近江の出自であった。応仁文明の乱では東軍に与した京極氏の出雲守護代として経久の父尼子清貞が、出雲国内の反京極勢力と対戦し、危機を乗り越える。
(二)経久の登場と発展--その苦闘と躍進--
尼子経久の人物像と、出雲国内の平定や、中国地方はもとより畿内をも軍事的に窺う積極的かつ広範な活躍を概観する。
★経久の人物像
★国内平定と神社・寺院
★外征と内乱
(三)三大名と京・東アジア
大内・尼子・毛利氏ら西国大名は、京都・東アジアの文化・経済との結びつきや志向性はさまざまで、それらが権力の性格を特徴付け、大内・尼子・毛利ら三大名の領国発展や衰亡とも深く関わっていた。
★大内氏
★尼子氏
★毛利氏
(四)晴久・義久の時代--安定から衰退・滅亡へ--
安芸郡山の敗戦に続く大内義隆の出雲侵入を辛くも撃退したのちの尼子晴久の時代には、尼子氏の領国支配は安定期をむかえた。しかし、毛利元就が主導する毛利領国が次第に勃興し、これに駆逐された尼子領国は長期衰退を続け、尼子義久の時代についには滅亡してしまう。
★晴久の隆盛と苦難
★神社・寺院の保護
★衰亡へのシナリオ
(五)尼子再興戦--勝久と鹿介--
尼子義久が富田城を開城降伏してのち、山中鹿介が尼子勝久を擁して出雲に再進入したいわゆる尼子再興戦を中心に、播磨上月城の落城・滅亡までを紹介する。また鹿介の死後、鹿介が称揚されていった跡を追う。
★尼子氏の再興戦争
★描かれた「鹿之助」像
エピローグ--その後の尼子氏--
尼子義久は、富田城の開城・降伏後、毛利氏のもとで幽閉された。関ヶ原の戦いの後は、萩藩から1292石の禄をうけ子孫は本姓佐々木氏を名乗って存続したことを紹介する
◆企画展関連講座◆
[場所] 古代出雲歴史博物館 講義室
[時間] 13:00〜15:30
[定員] 100名(事前申し込み制)
※電話・FAX・WEBページの参加フォームにて受付します。
[料金] 無料
2012年11月17日(土)
尼子氏が反映した時代は、同時に日本と中国・朝鮮半島との交流が活発化した時代でもありました。そうした尼子氏をとりまく東西の交流についてお話ししていただきます。
・「15・16世紀山陰地域の流通経済と貿易」
講師:本多博之氏(広島大学大学院教授)
・「富田城関連遺跡出土が語るもの-富田川河床遺跡・新宮谷遺跡の陶磁器を中心として-」
講師:西尾克己氏(前島根県古代文化センター長)
第2回目講座のお申し込みはこちらから
https://www.izm.ed.jp/cms/event.php?mode=yoyakuadd&id=9632012年12月8日(土)
尼子氏を語るうえで欠かせない存在ともいえる尼子経久と山中幸盛(鹿之助)。 地元ゆかりの先生方に、この二人を中心に語っていただきます。
・「尼子経久と出雲国内の諸勢力」
講師:長谷川博史氏(島根大学教授)
・「尼子家再興戦争と山中鹿介」
講師:藤岡大拙氏(荒神谷博物館館長)
第3回目講座のお申し込みはこちらから
https://www.izm.ed.jp/cms/event.php?mode=yoyakuadd&id=964◆島根県立古代出雲歴史博物館◆
住所:島根県出雲市大社町杵築東99番地4
TEL:(0853)53-8600
開館時間:午前9時〜午後6時(11月からは午後5時)
※入館は、閉館時間の30分前まで
会期中の休館日:11月20日(火)、12月18日(火)
休館日:毎月第3火曜日(第3火曜日が祝日の場合は、翌日が休館日)
【アクセス】
<車>
山陰道「出雲」ICより焼く15分
<電車>
出雲駅より一畑電車「出雲大社前駅」降車 徒歩7分
<バス>
出雲駅より一畑バス
1のりばより出雲大社・日御碕行「正門前」下車 徒歩3分
1のりばより出雲大社行(中央病院経由)「古代出雲歴史博物館前」