戦国魂ブログ

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新・関ヶ原トート 宇喜多「児」



本日より天正記と京町家本陣の店舗限定で販売開始致しました宇喜多トート。
今日はその戦国の貴公子・宇喜多秀家についてです^^


◆宇喜多秀家◆

幼名八郎、父宇喜多直家は戦国の梟雄として知られる謀略家である。
本能寺の変を前に死去した直家に代わり家を相続、信長の死後力を付けた
羽柴秀吉が後見人となり元服し、秀の一字を与えられ「秀家」となる。

宇喜多家を相続した秀家ではあったが、豊臣家の一門として朝鮮の役などで活躍することで五大老という地位を得る。温厚篤実な性格としての逸話が伝わる一方、宇喜多騒動における家臣団の離反は、徳川家康の離間策以外に、宇喜多家以来の家臣の気持ちを掴めなかった事に起因するという説もある。

とにかく貴公子的存在であった秀家は関ヶ原合戦において最も早くその立場を明確にした。関ヶ原合戦では西軍の中核として布陣、福島や井伊などの勇猛な東軍を相手に一歩も引かず何度も押し返すなど奮戦する。その後、関ヶ原合戦の敗戦により改易された秀家は島津を頼って落ち延びるが、徳川幕府との和議が成立した島津家も隠し通す事が出来ず、助命嘆願と共に徳川家康へ引き渡された。

八丈島で余生をおくる秀家のもとに、豪姫から賂が送られていたと伝わる。

また、福島正則の家臣が八丈島に漂着した際、宇喜多秀家が酒を所望し、福島家家臣は秀家と知り驚いてお上へ届ける酒を置いて帰った。帰国後、彼らの所業を聞いた正則は怒るどころかそれこそ我が福島家の家臣と褒めたという。福島正則の心に残る宇喜多秀家は、まだ清々しい豊臣家の一門であったに違いない。

児…宇喜多、浮田、宇喜田など宇喜多家の発祥とする
三宅氏や児島氏の旗に由来するもの。

戦国魂宇喜多秀家トートでは儚くもおかしい宇喜多秀家の生涯をイメージしてデザインしました。

※この商品は「京町家本陣(京都)」、「戦国魂天正記(代官山)」のみの取り扱いとなります。ご購入は各店舗にてよろしくお願い申し上げます。

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孫市まつりに6,000人^^



先週末に行なわれ、今年で6回目となりました『雑賀孫市まつり』ですが、
120人近くに及ぶ甲冑武者さんと約6,000人がお祭りに訪れたそうです^^

恒例となっている雑賀鉄砲衆の鉄砲演武とともに武者行列も行なわれ、
振舞われた孫市鍋も美味しかったと聞きました。
梅ソースつきというところが、さすが和歌山です♪

和歌山というと御三家の一つ・紀州徳川家が有名ですが、
雑賀孫市ももっと知って貰えるといいですね^^
何より謎の多い人物だけにさらに研究が進む事を祈ります♪




今日はついでに戦国魂【今日の出来事プラス】より
 天正元年(1573)3月30日の出来事の紹介です。

 将軍義昭が三好三人衆・松永久秀らとともに、信長方京都所司代
村井貞勝の屋敷を包囲する。

 元亀三年(1572)十月、甲斐の武田信玄は兵を率いて甲府を出陣、
上洛の途につきました。信玄は家康の属城を次々と落としながら進軍
十二月二十二日には遠州三方ヶ原で徳川家康勢を撃破、
引き続いて三河へ侵攻し、野田城を落とします。信長との対立を深めていた
義昭は、信玄の出陣に大いに喜びました。
義昭は翌四年(七月二十八日に天正に改元)三月六日、宿敵松永久秀と
三好義継を許して同盟を結び、信長の人質を返した上で断交しました。
松永・三好と言えば、義昭の兄で十三代将軍義輝を殺害した張本人
なのですが、義昭はそれほどに信長を嫌っていたようです。
久秀もこの年の正月には岐阜城に赴き、信長に名刀・不動国行を
献上していますが、これまたあっという間に豹変しています。

 信長はやりたい放題の義昭に対し、形式上は臣下であることから
我慢をしてきましたが、近江堅田城の一揆・地侍衆を撃破して
西近江を平定すると、三月二十五日に義昭討伐の兵を挙げ
二十九日に山城に入り荒木村重・細川藤孝の出迎えを受けています。
この間、新御所二条城の堀普請を行うなどして戦いの準備を進めた義昭は、
この日三好三人衆・松永久秀らとともに京都所司代・村井貞勝の屋敷を包囲
信長に対して先制攻撃を仕掛けました。

 貞勝が何とか脱出に成功すると、信長は上京の二条以北を焼き払った上で
逆に二条城を包囲しました。城内にいた丹波の内藤如安などの兵五千は
戦意を喪失、あわてた義昭は四月七日に無条件降伏しています。
十二日には信玄が上洛途中で病没、義昭は大きな支柱を失いました。
ここでおとなしくしていればまだ良かったのですが、懲りない義昭は
七月三日に再び槙島城(京都府宇治市)に挙兵、結局城を追われて
室町幕府は滅亡しています。


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『桶狭間の合戦・450年記念切手シート』4月より限定販売へ



昨日・一昨日と信長フェスティバルや近江八幡の文芸セミナリヨでは
「世界一受けたい戦国の授業」で桶狭間の奇襲についてふれたりと、
今週は信長ウィークでしたが、4月1日より郵便局にて桶狭間の合戦より
450年を記念した記念切手が発売されます。

記念切手は、1シート(80円切手×10枚組み)1200円。

切手のデザインは、桶狭間古戦場伝説地や戦人塚、
古戦場まつりの合戦再現劇、市のキャラクターであります
のぶながくん・よしもとくんなどをモチーフとした記念切手となります。


地元豊明市のほか、豊明市、瀬戸市、春日井市、小牧市、尾張旭市、日進市、
清須市、北名古屋市、愛知郡東郷町、長久手町、西春日井郡豊山町内の
全郵便局(93局)のみでの取り扱い。

販売総数は計1500部。
発売は4月1日より。
簡易郵便局では販売されませんのでご注意ください。

またシート上部には豊明市所蔵の錦絵が使用されております。
(トップにある画像です)
愛知へご旅行やお仕事の際に寄った時には、ぜひ郵便局も覗いてみて下さい^^

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時代劇

タイムスクープハンター『室町飢饉救援隊』ってご存知ですか!?

明日29日(月)NHKで午後10:55〜から放映される時代劇です^^


以下は毎日新聞さんの番組表よりの内容です。
歴史の教科書に太字で書かれるような英雄はでてこない。
かっこいい殺陣(たて)もない。「いかにも時代劇」というような勧善懲悪の物語もない。
一見、ないないづくしだが、強烈な印象を残す新機軸の“時代劇”。
昨年の8回の放送が好評で、新シリーズが誕生した。

タイムスクープハンター社は、時空移動装置を使ってあらゆる時代に
ジャーナリストを派遣。人々の営みを映像で記録する計画を進めている。
メンバーの沢嶋雄一(要潤)が今回向かったのは15世紀前半の
室町時代、京都。
凶作のため、庶民が飢えに苦しんでいた。
室町幕府は救済のため役人を派遣、粥(かゆ)を配ろうとするが
米が賊に盗まれてしまう。
再度かき集めたものの、今度は暴徒と化した難民たちに奪われる。
窮地を救ったのは、役人たちの地道な努力だった。


前作があったのは知りませんでしたが、
ちょっと変わった時代劇で面白そうですね^^
ぜひ気になった方は観てみて下さいm(__)m
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信玄公まつりにて兵糧丸が登場!

4月9日(金)〜11日(日)まで、甲府駅前を中心の様々な催し物が行なわれます
今年で第40回目の信玄公祭りですが、山梨県菓子工業組合さんから、今年は
武田24将にちなんだ菓子として「武田兵糧丸」が祭り期間中の10日より販売
されるそうです。

24種類。1個100円(税別)。

信玄公祭りで甲冑武者が出陣する際に、甲州軍団の行列に参加する
約1,500人の方にも配布予定。
お祭り会場の一つ、舞鶴城公園などで販売され、ゆくゆくは都内の
アンテナショップなどでも販売する予定だそうです。


兵糧丸とは、そば粉や上新粉、ハチミツ、ゴマ、米粉、濁り酒など
様々な食材を調合し、練って丸めた保存食と伝えられており、
焼おにぎりや味噌玉などとともに重要な栄養補給源であったと言われております。

ちょっと話はそれますが、おにぎりと言えば2008年1月に鮫ケ尾城跡の
三の丸付近から発見された炭化したおにぎり4つは雑穀米ではなく
お米だけのものでしたね^^
武田家より上杉家へと話は変わってしまいますが・・・・・。
このおにぎりは「御館の乱」と呼ばれる上杉謙信の後継者争いで
景勝と戦っていた景虎が、戦前の最期の振る舞いとして出した
おにぎりではないかと言われております。

雑穀米ではなく米100%のおにぎりを振舞うとはさすが新潟!
米どころですね!
以前は新潟県長岡市の県立歴史博物館で展示されていたので、
実物をご覧になりたい方はぜひ確認してみてはいかがでしょうか!?


大幅にそれてしまいましたm(_ _)m

3日間に及びます『信玄公祭り』で兵糧丸。
時期も花見頃と最適ですのでぜひ甲府の地に足を伸ばしてみて下さい。


お祭りの詳細につきましては信玄公祭り様の公式HPをご覧下さい。
http://www.yamanashi-kankou.jp/shingen/index.html

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明日、信長フェスティバル!

明日、27日(土)、春の新イベント「信長フェスティバル」が
安土駅前南広場で10:30から開催されます。
雨天の場合は城郭資料館内で開催となりますので雨が降っても大丈夫です^^

会場では、甲冑武者ステージ(11:00と13:30の2回)
信長が安土の地を選んだ話を甲冑武者のトークショーにてお届けします!

その他、14時からは信長博士による○×クイズ(景品あり)
昼食時には戦国屋台村(豚汁・フランクフルト・戦国バーガー・手打ちそばなど)や
きぬがさ作業所のバザー、そしてもちろん戦国グッズの販売もございます。

戦国魂とともにしょうぶ屋さんもブース出店しておりますので
ぜひご利用下さい。

当日、車でのご参加の方は文芸の郷駐車場へお願い致します。
文芸の郷と会場の間でシャトルバスが運行されます。


詳細や問い合わせは、主催の安土町観光協会(TEL0748―46―7049)まで
お願い致します。
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近日発売・勝庵『直江兼続所用・錆地塗六十二間筋兜』!

入荷してすぐに品切れとなってしまう勝庵様の大人気の兜シリーズですが
戦国魂天正記でも、昨年の伊達の兜に続き数量限定で販売が決定致しました。

※こちらの兜は販売を終了しております。

勝庵様の2010年度リリース第一弾は
『直江兼続所用・錆地塗六十二間筋兜』1/4レプリカ兜です。


戦国武将祭の際には戦国魂ブースで先行予約も行なわれました!
何個予約で売り切れてしまったのか・・・・・気になるところですが・・・・・。


(写真は全て勝庵様HPよりお借りしております)


今回も数量は完全数量限定生産なので売り切れ必死です^^




戦国魂天正記店頭では現在10体限定で予約受付を致しております。
価格は19,800円。



また、ネットでのご購入をご希望のお客様は、
下記勝庵様HPより直接ご購入下さいm(_ _)m
→ http://www.oct.zaq.ne.jp/shoan/page031.html
勝庵さんのHPでは現在島左近の兜も発売中ですよ^^

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「ケータイ国盗り合戦 春の宴 武将大集合!」無事終了〜^^

 昨日行なわれました「ケータイ国盗り合戦 春の宴 武将大集合!」に
ご参加されました方々も多いと思いますが、如何でしたか!?

色々役立つ話は聞けましたでしょうか?

これはイベントの最中の写真ですが、すごい人数ですね!!

ケータイ国盗り合戦グッズ第2弾の先行販売もありがとうございました^^
今後もまた、このような表彰式を行なってくれると楽しみも増えますね!!

「今日の1枚」
当日限定『国盗り出陣弁当〜♪』


〜お品書き〜
・巻物3種          ・勝ち栗もどき
・年貢の俵ごはん     ・よろこぶ昆布 
・薄焼き卵コバン      ・見通しよき蓮根
・癒しの梅干        ・隠元禅師のインゲン
・必殺蟹爪さつま揚げ  ・手裏剣肉詰しいたけ
・半月の半熟煮卵     ・赤く燃える人参
・必勝串カツ        ・無敵の金平ごぼう

ご馳走様でした〜m(_ _)m

第2弾グッズもまた機会を見てブログで紹介致します^^
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敦賀城跡でも現地説明会

昨日に続き、今度は大谷吉継のお城として知られる敦賀城でも
現地説明会が行なわれます。
セットでくる石田三成と大谷吉継の仲の良さはさすが義の方ですね^^

下記は福井新聞オンライン様より転記となります。

敦賀城の建物一部か、礎石出土 敦賀西小校庭で出土
 

 敦賀市教委は19日、福井県敦賀市結城町の敦賀西小校庭から
戦国武将・大谷吉継が拡張、整備したとの伝承がある敦賀城の
建物の一部とみられる礎石が見つかった、と発表した。
敦賀城郭の痕跡が発見されたのは初めて。
礎石が見つかった同じ土層からは複数の瓦が出土していることから、
当時勢力のあった武士たちが出入りしていた建物の礎石とみられている。

 市教委では「敦賀城はどこにあったか詳しく解明されておらず、
謎に包まれた城。今回の出土で場所を特定する糸口が見つかった。
貴重な史料」と価値を強調している。

 校庭東側の縦約5・5メートル、横約7・5メートルの範囲を深さ約2メートル
掘ったところ、建物の柱の基礎となる礎石が20個以上出土した。
建物の外周部の礎石とみられ、最大で直径60センチ近いものもあった。

 敦賀郡史によると、敦賀城は現在の結城町と三島町1丁目にまたがり、
南北約500メートル、東西約300メートルの範囲にわたり、敦賀西小は
このエリア内に位置している。敦賀城は1583年から33年間しか存在しなく
文献でしか分からなかった「幻の城」。積み重なる土層から礎石は戦国時代
末期のものとみられ、城が存在した時期と合致した。

 敦賀城は1583年に領主となった蜂屋頼隆が現在の同市花城地区から移転、
築城した。89年に領主となった大谷吉継が拡張整備したとの伝承が残っている。
吉継は1600年の関ケ原の戦いで、西軍豊臣方の将として戦ったが敗れて42歳で自刃した。

 1615年に徳川幕府が出した一国一城令により、翌16年に敦賀城は取り壊された。

 敦賀市教委の中野拓郎学芸員は「石垣や天守閣のものではない。
これまで伝承しかなかった敦賀城の痕跡が見つかったことで、
このエリアを約2メートル掘れば何か別のものが出てくるかもしれない」と期待を込める。
気比史学会の糀谷好晃会長も「文献でしか分からなかった幻の城が
表に出た意義は大きい。礎石の地層の位置が確認され、今後の発掘につながる」
と話している。

 耐震診断の結果を受けた新校舎への建て替えの一環で、昨年11月から
建設予定地の試掘調査を進めていた。敦賀城のものとみられる礎石は
掘り出して保存する。校庭は本年度内に埋め戻し、今後の調査の予定はない。
新校舎建設は7月ごろに着工する見通し。

22日午後1時半から同市教委が現地説明会を行う。
  

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佐和山城跡 現地説明会は20日(土)

昨日18日に石田三成の居城であった佐和山城遺跡から22メートルにも
およぶ内堀の東端の遺構が見つかり「安土城とほぼ同規模の城だった」と
滋賀県文化財保護協会さんが発表しました。

20日(土)午後1時半から雨天決行で近江鉄道・鳥居本駅の西南(西側)
約600メートルの場所で現地説明会が行なわれます。

問い合わせは県文化財保存協会様まで
(077−548−9780)。

佐和山城遺跡につきましては昨年7月の調査で、内堀西側の屋敷跡でも
給排水用の溝と、三成が家臣に使用を許した可能性があるという、
「五三桐」をかたどった銅製の紐留め金具などが見つかっています。
この調査の際の溝では、墓石等も使って城下の暗渠(給排水を行なうための水路)が整備されており、三成の家臣より城を拡充するために農民を徴集する書状がだされた1596年頃の工事で墓石も石材として使用したのではないかと考えられております。

今回の発見のように井伊家に伝わる『佐和山城絵図』に描かれた
武家屋敷と内堀の一部が正確に確認できたのは初めてとの事。

新たに見つかったのは佐和山の南側の区画で幅約10メートル、
深さ約50センチの内堀の跡。
近くの土塁との関係から内堀の幅は22メートル、深さは2メートル位
あったと推定されています。
その他、瀬戸美濃焼の天目茶碗(てんもくちゃわん)や中国製の磁器など
も出土しており、20日(土)の現地説明会で、どのようなお話を聞けるのか・・・。
お気になる方はぜひどうぞ^^
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