美味です!!「信長ねぎ」
載っていたので今日は信長ねぎのお話。
信長ねぎは安土城跡近くの干拓地でも栽培されていて、そのことより
信長ねぎとして全国へも出荷されています。
この信長ねぎは関東で栽培されている白ねぎよりも短く、
太くて肉厚なのが特徴。何より糖度が13度ととても甘いのです。
13度はスイカとかみかん等と一緒です。
勿論ねぎなのでぴりぴりはしますがフルーツ並みの甘みがあります。
地元滋賀ではピザやリゾットに使われたりと色々な食べ方がされていますので
ぜひ滋賀へ行った際には、信長ねぎも食べてみてはいかがでしょうか!?
( ^-^)_旦""
食べ物といえば最近気になっているのが熊本のからしレンコンです。
あれ予想以上においしいですね^^
最近初めて食べてちょっとクセになりました!
そしてからし蓮根といえば細川忠興の三男で初代熊本藩藩主・忠利公!!
ちょっと戦国から話は離れますが・・・野菜つながりということで。。。(笑)
関ヶ原の戦いのあと、肥後には加藤清正そして忠広が入りましたが
加藤家の後に肥後に入ったのがこの細川忠利です。
病弱で食の進まない忠利の為に玄宅和尚が考案したのがこのからし蓮根。
からしと麦味噌等が食欲を増進し、レンコンが増血効果を持つという
健康食品ですが以降、輪切りにしたれんこんの外観が細川家の家紋
「九曜紋」に似ている事もあって、忠利公はからしレンコンを秘伝料理とし
明治維新まで門外不出の味とされました。
あんなおいしいのに庶民は長らく食べれなかったんですね(T_T)
因みに九曜紋よりも外側の八曜が小さいのが特徴の細川九曜。
↑↑これですね ↑↑通常の九曜紋はこちら
この細川九曜が成立する契機となった1747年、江戸城での
殺傷事件についてもついでに・・・
延享4年(1747年)8月に江戸城本丸大広間の縁側であった殺傷事件で
殺されたのは熊本藩5代藩主・細川宗孝。犯人の板倉勝該は本家にあたる
安中藩主・板倉勝清を殺害しようと江戸城中で刃傷に及びました。
↑↑九曜巴はこちら
ところが細川家の「九曜紋」と板倉家の「九曜巴」とを見間違え
細川宗孝を殺害してしまいました。
板倉勝該は切腹となりこの事件は幕を閉じましたが、宗孝にまだ跡継ぎが
いなかった為、改易となる恐れがあったが仙台藩藩主・伊達宗村の機転に
よりすぐさま宗孝の弟・重賢に家督を相続させ肥後細川家を継続できたと
言われております。
また、この際に幕府から幕紋を変える許可も出たとされています。
これが「細川九曜」といわれる「離れ九曜」紋です。
また、細川家は再び他家と間違われない様に『細川の七つ紋』と呼ばれる
特別な配慮もしています。
通常、羽織には両胸・両袖表・背中の5ヶ所に紋を入れるものですが
後ろからでも紋が分かるようにと袖の裏側(後ろ)にも二つ紋を付けています。
細川九曜の成り立ちは、なんとも悲しいものだったんですね・・・・。
信長ねぎからはかなり話がそれましたが、今日はこの辺で・・・・m(_ _)m