来年度より「笠間城跡」の基礎調査開始(笠間市様)
笠間城は鎌倉時代の初期、この地の領主であった宇都宮頼綱の甥にあたる笠間(塩谷)時朝によって佐白山に築城され、明治時代に廃城となるまで約650年にわたって使われた石垣を持つ山城となります。現在も山頂付近には石垣や土塁が残っており、石垣を持つ山城として全国的に見ても珍しいものの、今まで本格的な調査が行なわれてこなかった事もあり、笠間市様では来年度予算に574万円を計上して基礎調査を行ない、今後の保全や修復を検討する基礎資料として用いるそうです。
ちなみに笠間氏は天正18年(1590年)秀吉の小田原征伐の際に、当時の当主であった笠間綱家が本家の宇都宮家に対して反逆(北条側に与する)の様子を見せたため宇都宮国綱によって滅ぼされております。その後笠間城には国綱や蒲生郷成が入っておりますが、慶長6年(1601年)には松平康重が3万石で入封し、笠間藩が成立。康重以降は藩主がめまぐるしく交代したものの、延亭4年(1747年)、牧野貞通が入封して以後は9代に渡り牧野氏が治め、明治を迎えております。
笠間城の天守曲輪の石垣は本当に素晴らしいので、ぜひ一度ご覧になって見てください^^
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