10月18日(土)開催。松江城障子掘跡 現地説明会
明日平成26年10月18日(土)松江城近くの南田町から堀尾吉晴が築いたと思われる障子掘りの現地説明会が開催されます。あまり詳しい情報も発表されておりませんので「YOMIURI ONLINE」様の記事のご紹介となります^^
松江市南田町の県道拡幅工事現場の発掘調査で、堀の底を、一部を残してさらに堀り下げた「障子堀」の跡が見つかった、と市が16日発表した。1607〜11年の松江城築城と同時期と見られ、江戸時代の障子堀の発見は中四国で初めてという。
障子堀は、堀の底を田畑のあぜのような幅の狭い土手を残して堀り下げた構造で、敵が侵入しにくくなる効果がある。戦国時代、関東の北条氏が考案したとされ、東日本では多数確認されているが、西日本では大阪城三の丸跡や北九州市の小倉城外堀跡など数例しか見つかっていないという。
今回出土したものは、深さ1メートルの堀の底に幅50センチ、長さ3・5メートルの土手を残し、さらに50〜70センチ堀り下げられていた。松江城本丸から東に800メートル離れており、市は「関ヶ原の合戦後間もない緊迫した情勢の中、当時の藩主堀尾氏が城の防御に力を入れた様子がよく分かる」としている。
また、松江城築城にかかわった堀尾吉晴は1590年、北条氏の山中城(静岡県三島市)を攻めており、この時に障子堀を目にし、城下に採り入れた可能性もあるという。
現地説明会は18日午前10時から。当日の問い合わせは市スポーツ振興財団(090・3376・6383)へ。
松江市南田町の県道拡幅工事現場の発掘調査で、堀の底を、一部を残してさらに堀り下げた「障子堀」の跡が見つかった、と市が16日発表した。1607〜11年の松江城築城と同時期と見られ、江戸時代の障子堀の発見は中四国で初めてという。
障子堀は、堀の底を田畑のあぜのような幅の狭い土手を残して堀り下げた構造で、敵が侵入しにくくなる効果がある。戦国時代、関東の北条氏が考案したとされ、東日本では多数確認されているが、西日本では大阪城三の丸跡や北九州市の小倉城外堀跡など数例しか見つかっていないという。
今回出土したものは、深さ1メートルの堀の底に幅50センチ、長さ3・5メートルの土手を残し、さらに50〜70センチ堀り下げられていた。松江城本丸から東に800メートル離れており、市は「関ヶ原の合戦後間もない緊迫した情勢の中、当時の藩主堀尾氏が城の防御に力を入れた様子がよく分かる」としている。
また、松江城築城にかかわった堀尾吉晴は1590年、北条氏の山中城(静岡県三島市)を攻めており、この時に障子堀を目にし、城下に採り入れた可能性もあるという。
現地説明会は18日午前10時から。当日の問い合わせは市スポーツ振興財団(090・3376・6383)へ。
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